top of page
  • 執筆者の写真源水会 仙台

古里の森

更新日:1月14日


2020.7.23-26

メンバー:村上、田森、齋藤、大見、一杉、田澤(記)

 

昨年末、白神山地を庭にしていた私の師であり祖父を失った。最期まで丈夫な人だった。父親の世代までは親戚も含め、皆、この茅葺屋根の下で産声を上げている。写真は祖母と私の父である。



其の昔、田澤一族は白神山地を有する西目屋村の現津軽ダム直下の藤川地区を根城とし、辛うじてダムによる水没を免れた。ダムに水没した砂子瀬地区のマタギが白神の最奥である赤石川のヨドメ(魚止め)の滝上に岩魚を放したのは有名だが、その滝上の広河原に両手程の岩魚が背ビレを出して泳いでいるとの話を聞かされていた。兼ねてよりその岩魚を見てみたいという思いがあり、今回仲間に恵まれて足を運ぶことが出来た。念願の赤石川遡行が叶い、同行の皆様には感謝の気持ちしかない。


その赤石川を知る田澤一族も、今はこの写真(岩木山神社前に掲げた旗)に書かれている正造氏だけになってしまった。3月に会った時には、「良い沢を見つけた、雪が解けたら行こう。リンゴの木をバンバン植えたから、数年後にはこれで一儲けするのが夢だ。」と70歳を過ぎても夢を語る超人であった。



その後、赤石川遡行が決まり、正造さんからルート情報を得ようと連絡を試みるが音信不通。伯父の情報で、最近、突然倒れてしまい言語に障害があり、入院先は面会も出来ないとの話だった。過去の記憶を辿れば、滝を越えて隣の沢を降るのが簡単なように言っていた。更に隣の沢まで山を越していた話も聞いたことがあるが、私にはとても出来ないように思う。白神の最奥から、持ち上げる事も出来ないような大石を背負ってくる人達なので、安易に真似が出来ない事は分かっていた。そんな西目屋の血が私にも流れているのだろうか、母親に尋ねたら、「生後5、6ヶ月で滑り台に登って、8ヶ月で歩いた。1歳の誕生日に一升餅を背負って歩くから転ばせたら、背負ったまま立ち上がって歩いた。米俵を背負ったまましゃがんで大便をしていた曽祖父源五郎の血を引いたんじゃないか。」と返ってきた。岩をヘツる幼き自分の写真をもらった。



赤石川は、世界遺産白神山地の核心地域に該当する為、予め津軽森林管理署への届け出が必要である。今回は巡視記録を提出する事で許可を頂いた。



7/23昼頃に宮城を出発し、藤川で墓参りを済ませた後、下山予定となる林道終点で前泊。夜が明けるまでずっとカモシカの鳴き声がこだましていた。



7/24早朝、入山口で記念撮影。いよいよ、念願の大渓流に向かう。前日は雨降りだったが、さすが白神の保水力、平水と変わらない。



F1

F2




F3



滝上からは幾つか小滝があるものの穏やかな渓相となる。




途中から沢を外して尾根筋に取り付き、ピークまで登り小休止。



ここから山を下り、一旦小沢に降りた後に対面の尾根に登る。






鞍部から沢を下降して赤石川へ向かう。








本流が見えた。ドキドキする。




念願の赤石川、どんなに遠い川よりも言葉にならない感動があった。






その後、やや遡行してテン場適地を発見。白神と言えばブナであるが、沢筋はどこまで行ってもサワグルミやトチ、カエデ類の密生地帯であった。






釣りや焚火が出来なくても、仲間と酒を酌み交わす夜は最高の時間。私はカヤに入ることなく寝てしまったので、翌朝は身体中を藪蚊に刺されていた。少しは白神に貢献できただろうか。

7/25、引き続き本流を遡行しヨドメを目指す。


ヤマカガシは大見さんの遊び道具でしかない。世界遺産の動植物なので、きちんとリリース。



ブナの畑。


美しい渓流。しかし、走る岩魚が殆どおらず、明らかに魚影が薄い。




ヨドメの滝。この上流に岩魚の楽園はあるのだろうか。





滝の左を登る。その後しばらく遡行するが、小さい岩魚がたまに走る程度で、魚影が濃くなることはなかった。源頭まで行きたい気持ちがあったが、どうにも時間切れになりそうで諦める事となった。




分かっていた事ではあるが、秋田県側が赤石源頭付近まで林道が伸びている為、裏山のように赤石源流に入る事ができるのである。釣りをする人も入っているとの話は聞いていたが、こうもなってしまうのかと残念でならない。

記録によれば、1978年に青秋林道計画が立ち上がり、自然保護団体の反対を押し切って、材木資源の利権獲得を目的に82年に工事が着工され、86年には秋田県側の県境まで工事が完了した。その翌年より、赤石川と広大な原生林を守る為、宮城の自然保護団体を含む全国の反対運動によって、90年に青秋林道計画の中止が決まり、93年に世界自然遺産に登録された。先人の努力によって瀬戸際で守られた赤石川、感慨に浸る時間はあっという間に過ぎ去り、本流と別れを告げて帰路となる支流を詰め上がる。





尾根に出て、テン場とした。尾根筋はどこまでも立派なブナ林。



この日はカヤに入って寝る事が出来た。




翌7/26は、朝から雨。車止めを目指して沢を下降するが、滝が連続していて難儀する。











滝をやり過ごせば、今度は廊下の連続。







広河原に出れば、間もなく車止め。山旅が終わる。


帰りに藤川の墓で報告のお参り。近く、正造さんに会いに行こう。そして言いたい、「岩魚いないじゃんっ!」って。






​記事カテゴリ

​投稿月

タグ

まだタグはありません。
bottom of page