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  • 執筆者の写真源水会 仙台

エメラルドグリーンに輝く場所

更新日:2023年12月5日



釣行記)I

深く透明なエメラルドグリーンに輝く水を湛えたその場所は20代の頃から憧れの場所だった。 40センチを超える大イワナが生息する場所として渓流釣りの雑誌で紹介され、おそらく渓流釣りを愛する者なら、その名前を知らない者はいないくらいの有名な場所。 自然に生息するイワナを見たこともなかった私ことIにとって、そこは雑誌の中での現実離れした夢の世界でしかなく、行くことは一生叶わないだろうと思っていた。 その場所に1泊2日の日程で行くこ とが決定したとき、体力不足からくる不安もあったが、そんなことより、あのエメラルドグリーンに輝く場所に行ける!という喜びの方が遥かに勝っていた。 参加メンバーであるSさんとMさんが経験豊富なエキスパートであることも安心感を与え、私の背中を押してくれたことは言うまでもない。 ついに、出発の日がやってきた。有難いことに、Mさんが車で迎えに来て下さり、その後、Sさんと合流し出発。 途中、道の駅でテン トを張り、仮眠も入れて数時間過ごす。次の日の早朝、車止めを目指し出発。 車止め近くの林道に入ると、我々の車を抜かさんとばか りに、2台の車がピタリと追ってきた。車止めのスペースは小さく 、限りがあるからだろうか。 先行者がいないことを期待していたが 、車止めには既に2台の車が止まっていた。1つは既に出発しており、もう1つは車中泊のようだ。車中泊の人は、Sさんの知り合い で、しばし談笑する。後から来た2台はどちらも舞茸取りということだった。その1つに、クロという名の、ツキノワ模様があり前足だけ白い靴下を履いたような特徴のある風貌をした黒犬をつれた舞茸取りの人がおり、話がはずんた。クロは人懐っこい犬で、頻繁にじゃれてくる可愛い犬だった。クロが居てくれたこともあり、その場の雰囲気は和やかなものとなっていたが、車止めの時点で私は今まで体験したことのないような深い山の中に来たと感じており、少なからず厳かな気持ちになっていた。これからどのような自然が待ち受けているのだろうか。 逸る気持ちを抑えつつ準備を整え、私にとっての挑戦が始まった。 車止めを後にして、杉が生い茂る場所をしばらく歩く。そこを抜けると植物の植生がガラリと変わり、ブナの木が多くなってくる。Mさんは植物やキノコに詳しく、歩きながら、いろいろと教えて下さる。知識が増えると、見え方がまるで違ってくる。巨大なブナの木を、時折、見上げながら快調に歩く。なんて清々しい場所なのだろう。木の間から遥か向こうに僅かながら川が見える。進めば進むほど、川の流音が大きくなってくる。それと同時に、山道が狭くなり 高低差も激しくなってくる。木を掴み、時には草をも掴み、私にとっては恐怖を感じるくらいの際どい場所をゆっくり進む。 遥か下に、激しい流音とともに、 見事なまでに透明な水がうごめいている。目指すべき本流だ。 滑落したら、冗談では済まされない。しかし、SさんとMさんは、 いつもの事と涼しい顔で、あたかも普通の道を歩くかのようにテンポよく進んでいく。アップダウンが激しい幾つかの崖のトラバース に差し掛かったとき、足がすくんでいる私を注意深く観察し、 足の置き場から掴む木の位置に至るまで、的確なアドバイスを2人から貰うことができなかったら、越えることは難しかっただろう。 こうして私にとっての難所を手厚いサポートのお陰で越えることができ、なんとかテン場まで辿り着くことができた。そこには何枚かのシートがデポされており、テン場にする人たちが自由に利用できるらしい。これは理になった形態だと納得する。過剰な荷物を持ち 込み、持ち帰れなくなって山のゴミとして放置されるよりは、 デポすることで志を同じくする者同士で長く有効に活用しようとい う考えなのだろう。これはあの険しく細い山道を考えれば、 当然の事にも思えてくる。さて、テン場には先行者がおり、既にタープとテントが張られていた。車止めにあった車の持ち主に違いな い。とりあえず、少し離れた所に我々のテントを張り荷物を置いて 、食料調達に出かけることにした。狙うはイワナと舞茸だ。 テン場から本流に向かうためにしばらく歩く。SさんとMさんは、 舞茸を探しながら歩いている。特にMさんは、今回は舞茸取りに集中されるようだ。手分けして探すが、なかなか見つからない。そん な中、Mさんが舞茸を発見した!今晩の夕食の食材として、Sさんが丁寧に採る。その後も舞茸を探しつつ崖を下って、川原に降り立った。雄大で太く激しい川の流れ。水の透明さに息を呑む。エメラ ルドグリーンに輝く世界。なんて美しい場所なのだろう。自分さえもが透明になっていく気がする。その美しさにしばし釣りのことは 忘れて、佇んでしまう。釣りをして良いものかどうかとさえ思ってしまうほどに神々しく、精霊が宿る場所と言うに相応しい。静かに 釣りの準備をする。SさんとMさんは、仕掛けの作り方から、ポイントでの仕掛けの流し方に至るまで、丁寧に教えて下さった。Mさんは餌となるドバミミズを事前に取ってきて下さり、惜しげもなく分けて下さった。あの危険で細い山道を重い荷物を背負って持って 来て下さったのだと思うと、今でも頭が上がらない。また、Sさん は私に教えるために、ここぞ、というポイントで仕掛けを流しイワ ナを掛け、練習と称して、私に釣り上げさせてくれた。そのイワナは泣き尺の大きさで尾びれが大きく、美しい魚体をしていた。その 大きさのイワナを釣り上げたのは人生で初めての事だった。その後 、鋭いヘツリを歩き、さらには腰くらいまで水に浸かりながら横断 しつつ川を遡行する。 見た目よりも太く激しい流れに耐え切れず滑り、 頭の先まで川の中に浸かって全身ずぶ濡れになったが、それも楽し い。全ての景色があたかも夢の中のそれであるかのようにキラキラと輝いている。20代のころに雑誌の中で見ていた、あの場所、 にやってきたのだ。川原の砂地に熊の足跡らしき痕跡を発見する。 かなり大きい。まさに大自然。そう、ここは熊が支配する世界であり、我々はそこにお邪魔させて頂いているに過ぎない。そのような ことを考えながら釣り続けるが、アタリらしきものはあるものの、 釣り上げることができない。合わせが早すぎるのだろうか。しかし 、Sさんは同じポイントで連続して数匹のイワナを当たり前のよう に難なく釣り上げる。同じ竿と同じエサを使っているはずなのに、 やはり腕が全く違う。竿さばきが繊細だ。Mさんも快調に遡行しながら真剣に釣りを楽しまれている。夕食のために、とりあえず4匹 のイワナを確保する。そのまま川を下ってテン場に戻ると思いきや 、彼らは近くの急な崖を何の躊躇もなく登り始める。半信半疑のま ま、必死について行く。登り切って肩で息をしていると、彼らは息 ひとつ切らすことなく、当たり前のように舞茸を探し始めた。しば らく舞茸探しに明け暮れるが、見つけることはできなかった。その後、支流に入り、Mさんがそこで仕留めた1匹を加えて計5匹のイ ワナと最初に見つけた舞茸が本日の夕食の食材となった。 テン場に戻ると、先行者のテントは跡形もなく、もぬけの殻となっ ていた。タープとテントを張り、火を起こして、しばし休憩。Sさんがイワナをさばき、Mさんが舞茸の下処理をして下さった。私は 米の係り。イワナの天ぷらから始まり、イワナの漬け丼、舞茸の天 ぷら、イワナのアラの味噌汁と骨せんべい、と豪華な夕食。豊かな 自然の恵みに感謝する。全てが驚くほどに美味しい。Sさんは名コックだ。酒も入り、焚火を囲みながら、盛り上がる。全てが贅沢な 瞬間の連続だった。周りにあるのは、心地よい川の流音と漆黒の闇 。火を眺めつつ談笑しながら、時間の概念が無いかのようなゆったりとした空間に佇んでいると、眠気が襲ってくる。そのまま、就寝となった。 次の日の早朝、テン場近くの崖を登って下り、支流に入った。魚止 めの滝があり、釣果が期待できるとのことで、私に釣らせてあげた いとSさんとMさんが言って下さった。昨日入った本流とはまた違 ったダイナミックな絶景が続く。力強く、そして信じられないくらいに美しい。これは、と思われるポイントに仕掛けを流すとアタリ があった。合わせようとするが、Sさんがまだ早いと言う。しばらく待って合わせを入れると、獲物の口に針が掛かってくれた。そうして釣り上げたのは、丁度30センチの尺イワナだった。人生で初 めての尺イワナ。子供のように感激してしまった。記念にそのイワ ナは家に持ち帰り、有難く美味しく頂いた。同じポイントではもう 釣れないだろうと思っていたが、Sさんは、そこから今回の最大である34センチのイワナを何事もなかったかのように引っ張り出し た。そのイワナを優しく労わるように扱い、さらにはリリースするとき、手をあらかじめ水で冷やし、イワナに触れている姿が忘れら れない。大袈裟かもしれないが、Sさんはイワナさらには山全体に 敬意を持って接しているのだろうと、私には感じられた。自分でも気にせず特別でもなく、普通の人にとっては特別なことが自然に当 たり前のようにできてしまう人。そういう人を名人と呼ぶのかもし れない。2004年に発行された源水記を何気に眺めていると、源水会永世顧問である植野稔氏による著書に次のような言葉があると知った。「魚を生かす自然こそイワナそのものであることを知る。 それには渓の水、木、土、虫、鳥、獣など、山に生きているものす べてイワナだということを理解することである。」現在の私はこの 言葉の真の意味を理解することができていないと思うが、おそらく 、源水会創立時からのメンバーで現会長のSさんは、理屈や頭ではなく、それを態度で自分でも気がつかぬうちに体現しているかのよ うに私には感じられた。その後も沢を登り、美しい景色を眺めつつ 、数匹のイワナを釣り上げることができた。このまま永遠にこの絶 景の中で釣り続けていたい衝動にかられるが、台風の影響もあり、 残念ながら、帰る時間となってしまった。 荷作りが終了し出発しようとするとき、意外に重たいザックを目の 前にしてSさんが、 なんで重たい荷物をわざわざ担いでまで何度も来るんだろうなあ、 というようなことを何気なくボソッと言っていた。 私にとっては相当に危険な帰り道の最中、何故か気がつけば、その事を考えていた。なぜ重たい荷物をわざわざ担いでまで危険な道を 通り、疲労困ぱいになるのが分かっているはずなのに来るのか?イワナを釣りたいからなのか?舞茸を取りたいからなのか?絶景を見 たいからなのか?全てが正解であるようでいて、全てが不正解であ るようにも思えてきて自分でも訳が分からなくなる。エメラルドグ リーンに輝く水を湛える神々しい渓、そこを自由に悠然と泳ぐ宝石 のようなイワナ、そしてそれを育んでいる母なる大地としてのこの 大自然に、自分の全てを投げ出し挑むことで、自分自身を追跡し、 そして発見し、イワナでも舞茸でもない新たな、何か、を獲得したい自分がいるのではないのか? イワナや舞茸を追っているつもりで、知らず知らずのうちに実は自 分自身を追っているのではないのか?疲れと恐怖で足がもつれなが らも、このように答えが容易に出せないような小難しいことを考え ながら必死に歩いていると、赤い車が見えた。Mさんの車だ。 ホッとしたのと同時にこのアドベンチャーもこれで終了するのかと 思うと急に寂しくなる。畏怖の念が自然と沸き上がり、 有難うございました、と今まで通ってきた道に手を合わせる。 来年もまたここに来させてほしいと心の中で強く願う。このような 楽しくも感動的で稀有な体験をする機会を与えて頂いたSさんとMさんには感謝の言葉が見つからない。あらためて深甚なる感謝を、 ここに。










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